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極楽山 浄土寺

浄土寺について

治承(一一八〇年)平家による南都焼き討ち
で東大寺は消失しました。
その復興を遂げたのが、
俊乗房重源上人です。
中国、宋に三度にわたり巡礼した経験が
あり、数々の宝物や建築技法などを招来
しました。
そして、すでに六十歳を超えているにも
かかわらず、東大寺大勧進となり、
復興の拠点として
各地に七別所を設けました。
(東大寺別所・高野山新別所・渡辺別所・
播磨別所・備中別所・周防別所・伊賀別所)
そのひとつ、播磨別所が浄土寺です。

浄土寺には浄土堂をはじめ、薬師堂
(重文)、八幡神社(重文)、開山堂、
経蔵、護摩堂、鐘楼堂などがあり、
特に浄土堂は、重源上人が請来した
建築様式「大仏様(天竺様)」で建立
されたお堂で、現存する代表的建築は、
東大寺南大門と浄土堂のみです。

朱色の堂内は光の入る透かし蔀戸が入っており、西陽の入るころには化粧屋根裏に反映する光が三尊を照らし、来迎の世界へといざなう設計になっております。

若くして醍醐寺や高野山に入り、真言僧としての重源上人は、真言密教を根本とした阿弥陀信仰をもとに、自らの法号を「安阿弥陀仏」と名乗った仏師 快慶に丈六の阿弥陀三尊(国宝)造立をゆだね、二人の篤い信仰の融合ともいえる仏像と空間を造りあげました。